The true meaning “correspondence ignoring”:IRAN

 船舶の臨検をしていてイラン側に拿捕された英国軍兵士は結果的に何事もなく釈放された訳ですが(その後の謝礼を貰ってメディアに露出する云々の是非はともかく)、やはり僕が問題視したいのは「反撃云々」を無責任に表明する自称(メディア・イベント視聴者でしかない)保守派の論調な訳です。
(まぁ~、そうした論調が体制に影響を与えるとも思いませんし逆に政治的、外交的に利用される程度ではあるかも知れませんが・・・苦笑)
 
 今回のイランによる”英国兵士の拿捕事件”に関して穿った見方をするならば・・・
  1. イラン側が端から復活祭”前”に開放することを意図して拿捕した。
  2. イラン側の正規軍(Military forces of the Islamic Republic of Iran)、革命防衛隊(Army of the Guardians of the Islamic Revolution (Persian: سپاه پاسداران انقلاب اسلامی – Sepah-e Pasdaran-e Enghelab-e Islami))に限らず、いわゆる「国際法」等に基づいた行動が採れることを証明することを目的に拿捕してみせた。
っと考えられなくも無い訳です。
 
 保守派さんの中には「”拿捕した時点”でそれは戦争行為であるが故に国際法以前の問題だ!」等と世迷言を言い出す方もいるようですが、実はこうした屁理屈はイスラム原理主義テロ組織の屁理屈と何も変わらない。
(中にはわざわざWWIIでの旧日本軍による真珠湾奇襲を上げる等は、イスラム側が非イスラム側を非難する際に論難する15世紀のイスラムに対する迫害理由と、何も変わらない訳で、早い話がそうした話題自体がナンセンス以外の何モノでもない・・・
UNは何の為にあるのか?というだけで:UNが役に立つ立たないはともかく:その”理念”は特に非イスラム側には共有されているはずであり又:解決はされていないが:同時に国家主権も共有されている・・・)
 
 ましてや「国際法云々以前の問題だ」等と非イスラム側が主張することは、非イスラム側の社会秩序そのものを否定してしまう以外の何モノでもない。
(イスラム側は:特に原理主義者達は:イスラムこそが絶対の正義であるが故に非イスラム側の法律や理念等に従う必要も、知る必要も無い、っという理屈なのですから)
 
 英国側が、イランとの戦端を開くキッカケを”わざと”作り出す為にある種の挑発作戦を実施する必要は更々ありませんので(正確な時期は失念しましたが、以前、英国の哨戒艇がやはりイラン拿捕されるという事件が発生している)英国側からすると今回のは全くの”事故”だったと考えられます。
(臨検行動地域の索敵がしっかり実施されていたか?支援体制はどうだったか?等はちょっと怪しいんですが・・・)
 
 余談ですが(笑)、国家主権の軍事組織が拿捕されたっと言いながら、その国家主権を尊重されなければならない他国(この場合は英国ですが)にイラン軍と「一戦交えないとは何事かぁ!」等と他国の人間が悶着付けること自体が矛盾している(ははは)。
 
 そうしたことはともかく、何度かこのブログでも取り上げているように「非対称戦闘」等の意味を全く理解していないTV的強行保守が多過ぎる・・・・(ヤレヤレ)
 
 非対称戦(闘)という状況は恒常的に米英側に有利に働く・・・等という呆けた状態である訳がない。
簡単に言うと「多勢に無勢」の状態になった場合、その全てが非対称戦(闘)であり、敵味方等の区別等成立しないは自明な訳です。
 
 降伏するとかしないとか言うことも実はこうした状況には何も関係が無い・・・・旧日本陸軍は嫌と言う程経験している訳で。。。物量作戦とは、相手(敵方)の火力ではどうやっても反撃、攻撃出来ない圧倒的な火力で敵方を撃滅することでしかない。
(湾岸戦争の際の地上戦:戦車戦:もほぼ同様の状態だった訳ですが・・・故に連合軍側のイラク兵捕虜の数は予想をはるかに超えるモノになった)
 
 大規模な戦闘行動でなくても(今回の拿捕事件のように)、イラン側の陣容が英国軍側をはるかに上回っていて、遮蔽物も何も無い(当然、海上な訳ですから)状況では包囲されてしまった場合も非対称な状況であり、そうした状態で反撃(戦闘)行動を実施することは
単なる自殺行為であり・・・極端な場合、イラン側は包囲した英国軍兵士を全員殺戮して「そんな事件はなかった、知らない」っと強弁することだって可能だった。
(若干、無理があるかも知れませんけどね・・・でも索敵支援が不十分だったとすると分からない)
 
 つまり、15名の英国軍兵士が全員死亡していた場合、非イスラム側の証人が誰も居ない・・・どういう経緯、状況でそうした事件が発生したのかを誰も明らかに出来ない:死人に口無し、ですから:。
(仮に英国軍が15名もの損害を出した場合、その責任問題:回避行動がなぜ採れなかった?等も含めて:が英国国内で大問題になってしまう、故に挑発行為的な作戦を英国軍が採用した所で何の益も無い)
 
 戦闘行為combat, battle)とはそもそもどういった状況なのか?を理解しておく必要があるのですが(詳細はリンク内容を参照して下さい)、誤解を恐れずに非常に単純化した表現を使用するならば
相互に且明確に敵対行動をする意思を持った存在とその具体的な軍事行動の存在
なくしては、戦闘行為自体が成立等しないのです。
 
 上記で述べた「圧倒的な火力で敵方に反撃の機会も与えない攻撃」も実は戦闘行為等と呼べたモノではない(何せ敵方は逃げるか動けないかの何れかですから)ですし、今回のように「多勢に無勢で敵方を包囲してしまった結果、包囲された側が戦意を喪失したか
初めから交戦の意思が無い状態」の場合も同様に戦闘行為が成立しないのです。
 
 そうした状況になったにも係らず、仮に優勢な側が更に攻撃を実施した場合、その行為は「(無抵抗な又は抵抗出来る状態に無い人間を)虐殺した」ことに他ならなくなってしまう。
 
 しかし、今回イラン側は(悪名高き:笑)革命防衛隊であっても、抵抗の意思を示さない兵員を殺戮することはなかった。
 
 つまり、非イスラム側の国際法なるモノを遵守して見せた(イスラムの慈悲と寛容だ!という理屈も成立するにはしますが)。
それも拿捕容疑はあくまでも「国家主権の元の正当な権利でもある”領海”を侵犯した」という全うな理由でしかないばかりか、(何度も言うように)現在、イランと米英は国際社会が認めた戦争状態にある訳でも、英国議会が米国と同様に国内法の解釈から
イランと戦争状態にある、っと認めている訳でもない状況では(早い話がイランと米英の状況は”平時”)、領海侵犯した”不審船”を拿捕するのはその領海を主張する国家主権の側にこそ正当性がある・・・っと国際社会は認めている。(因みにイランはUNから脱退等していない)
 
 実際、自国領海を侵犯した不審船に対して武力行使を行うことはその国家主権の正当な権利であることは日本でさえも実際に証明している訳で・・・
 
 っとまぁ、旧宗主国であろうがなかろうが既に正式な主権を持った他国の領海近くの公海であったにせよ、実際に領海内であったにせよ、英国の領土、領海ではない他国の権益が最も影響する地域で国連制裁決議の名の下に
軍事組織が何らかの作戦行動を採っていた訳ですから、米英と具体的な交戦状態に無いイランの方に実は分がある。
 
 単純に(メディア・イベントとして)溜飲を下げたいだけでイランをぶん殴る”口実”を目を皿にして探しているようなTV的強行保守派の理屈は何の足しにもならないばかりか、そんな支離滅裂なイスラム原理主義テロ組織と同じような屁理屈を振り回していると
あの阿呆なアフマデネジェァドにさえ「イスラム・イランは無抵抗の者を例えそれが兵士であろうが殺戮等という野蛮なことはしないのだ!」等と言うイスラムの正統性を証明する口実に使われてしまう可能性すら持っている・・・
(そんなことも分からんかなぁ?非イスラム側の国際社会秩序を護る為の国際法や民主主義等と同様かそれ以上にイスラム側のイスラム教に基づいた社会秩序維持概念が存在することを証明して見せる結果になってしまう・・・仮に英国軍兵士が反撃等という馬鹿な真似をしていたら)
 
 故に、相手がどんな観念論や感情論を従えた一見正しい理屈に聞こえる屁理屈を喚こうが、非イスラム側は一貫して国際社会秩序を維持する為の理屈のみで対応する(故に議論は最後迄噛み合わなくなるが・・・)ことで
イスラム教という宗教概念を無視することが出来、価値観や文化の衝突等と言う馬鹿げた状態から抜け出せるのです。
(非イスラム側が一貫して国際法等に依拠するということは必然的に、非イスラム側国家もその制約を受け入れざる得ない訳ですが・・・そこは現ブッシュ大統領が行ったように国内法や国家主権という存在から先制攻撃権もある、っと言い抜けられる訳ですが・・・)
 
 因みに非イスラム側の論調で「(改革)穏健派は支持する」というモノがありますが・・・・実はイスラム側からすると誠に妙な話でしかない、っと言うか「イスラムを知らない証拠」でしかない。
 
 原理主義派と穏健派の信奉する宗教は”別の”イスラム教でも何でもない。
たった1つの「イスラム教」の単に解釈が違うだけの話で、いわゆるイスラム教内での宗派対立であっても、どれだけ多くのムスリムがその解釈を信奉するか?でしかない(故にただの権力闘争でしかない)。
 
 イスラム側からすると、非イスラム側が言う「穏健派は支持するが原理主義派は否定する」それこそ論理矛盾したモノの最たるモノでしかない。
 
 なので、イスラム教の教義解釈等非イスラム側からしたらどうでもいいことであり、そんなことは勝手にアンタらの内部で喧々諤々やっていればいいんであって、コッチが交渉の話題にしているのは非イスラム側の大多数が認めている国際社会秩序維持の為の理屈としてのルールを
イスラム側が遵守するのかしないのか、というだけのことでしかない・・・・という姿勢を維持し続けることなのです。
 
 UNの成立意義は「無用な残酷な戦乱を回避する」ことでありその理念は冒頭でも述べたように誰もが許容出来るはずのモノです。
しかし、残念なことに現段階ではそのUNの理念と”国家主権”と非イスラム側が認める”国際社会とその秩序維持”は必ずしも肝心の「国際社会」全体が認めたモノではないことです。
 
 例えそうであっても非イスラム側の基本原則は「政教分離」であり「自由・民主主義」ということになっていて、何人も強要することもされることもない、ことになっています。
 
 そして、それは最善ではなくても最良ではあるだろうことも理解して、人間の尊厳を護る唯一のモノであるとも(多分)理解されている(はず)。
 
 そうした国際社会とその秩序維持を脅かす存在には、躊躇無く断固として圧倒的な処置を下す”覚悟”と”責任”をその国際社会なるモノを構成する全ての人間が持っている・・・・っと果たして断言出来るのでしょうか?
 
 為政者だけに責任や覚悟が必要な訳は決してないと僕は考えます(何せ、民主主義なのですからその為政者を選出したのはその国民のはずです)。
 
 何の為に現代の我々は「軍事力」というモノを保有しているのか?そうした破壊しか生まない力を保有しながらUNという理念を掲げているのか?
WWII終了後の国家主権に於ける政権の基本的な役割は「戦争を決断して実行する役割」は縮小したはずなのです(そう期待したい)。
 
 半端な軍事行動・・・・なるものはそれこそUNのPKFが世界各地の紛争地域で証明していますし、イラクでの米軍も証明してしまっている。
(逆に意志強固な自爆型のテロリストは例えグリーンゾーンであってもそのテロ実行出来ることをつい最近証明してしまっている・・・・つまり、如何にそうしたテロ行為を阻止することが難しいか、という証明でもある)
 
 軍事力を行使するからには相当な覚悟と責任を持って、非対称戦争に一気に持ち込むしか実はその力を有効に利用するしか無いのが本当だと思いますが・・・
 
 

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